君らしく僕らしく

井上瑞稀くんを応援してる人 @32__0223

無題

久しぶりになんとも言い難い感覚になった。

私たちはお金を払ってエンターテイメントを受け取る立場なだけであって。そのお金を払う対象がたまたま、大きいアイドル事務所で、まだデビューしてない立場なだけであって。

たまたま応援しているアイドルが、まだ形が確約されていないアイドルだからこそ、わたしは急にくるかもしれない終わりに怯えながら、1日でもはやくその確約が欲しいと思いながら、どうすればその確約が得られるか考えながら応援している。あくまでも自分が応援している人が、ふっと表舞台からいなくなった時の計り知れないダメージをさけるために。まわりまわって、根本は自分のために。

私たちには想像もできないほどのプレッシャーがかかった世界だと思う。長くいればいいわけでもない。真面目にコツコツ続ければいいわけでもない。持って生まれたビジュアルと、持って生まれたコミュニケーション能力と、持って生まれた愛嬌と。自分の力だけではどうにもならない世界の中で、生きていくためにはその確約を得ることが多分だけど重要で。でもいつ言われるかもわからない、もしかしたら得られないかもしれないその確約のために何年も、へたしたらもっと長い年数耐えながら表の部分だけを見せ続けなければならない。まわりは社会人として働く中で、自分だけがその足元が不安定な中に居続ける。自分がその渦中にいたと考えるだけでひどく胃が痛む。

生活の一部であってほしい、エンターテイメントを享受する側の私たちによく言う言葉だけど、なかなか難しいことだと思う。その時間があるから日々のつらいことも耐えられる、その考えの時点でエンターテイメントに依存しすぎてるんだと改めて実感する。

別に何かしたわけじゃないし、私自身が咎めることができるようなできた人間でもない。

リスクマネジメントできるようになったんだなと思ったのも事実で。それでも、周りの人たちをちゃんとみてほしいな、と思うし、私たちに見せてるのは完璧な鎧を纏ってる姿なんだなとも思うと少し寂しくなる。あくまでも私は享受する側の人間で、あーしなさい、こうしなさいって言える立場の人間でもないしそんな関係性でもない。母親でもないし友人でもないし彼女でもない。与えられたものを自分の感情の尺度ではかるだけ。だからこそさびしい。いつもわたしがみてたものはやっぱり虚像なんだな、と再認識するし私自身がその事実を忘れてたことも痛感する。別に何も悪いことはしてないよ、っていう気持ちと、脇の甘さが出てるよっていう気持ちと。1番はここ2年のふるまいがやっぱり虚像だったのかなと思ってしまう自分がとても嫌になる。あんなに沢山楽しい時間をもらったはずなのに、こんな外野の一瞬の声でぐらぐらと揺れる自分がとても嫌になる。

一個人の気持ちを押し付ける人にはなりたくないとここ最近はより一層思うようになった。だからこそ、今回のは別に悪いことじゃないんだよ、って自分自身を納得させるようにこれを書いている。全然気持ちに折り合いがつかないのが正直なところだけど。